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おやじむし

Author:おやじむし
私「おやじむし」の人生のメインテーマである「何をするためにこの世に生まれてきたのか」を知ること、そして、「豊な人生を送る」という目標のために日々読書し、そこから得たことをアウトプットしたものです。

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イエスの生涯(2回目)
イエスの生涯 (新潮文庫)イエスの生涯 (新潮文庫)
(1982/05)
遠藤 周作

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──────────────────────────────
 ◆今日読んだ本
──────────────────────────────
 題名:イエスの生涯
 著者:遠藤周作
 出版:新潮文庫
 定価:438円+税



──────────────────────────────
 ◆今日の本 購入情報
──────────────────────────────
 アマゾン
 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4101123160/oyajimushicom-22/ref=nosim/
 楽天ブックス
 http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/02bf9514.ebca5b49/?url=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f1761553%2f



──────────────────────────────
 ◆本の目次
──────────────────────────────
 ※目次はありません。



──────────────────────────────
 ▼本の成分解析
──────────────────────────────
 知恵  :■■■■■
 勇気  :■■■□□
 豊かな心:■■■■□
 おすすめ:■■■■■



 この本は、昭和57年5月に出版されています。
 
 昭和48年10月に出版された単行本の文庫版です。
 
 著者は、日本の小説家で、多数の賞を受賞しています。
 
 紹介文によると、一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を
 追求する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある、とのこと。
 
 著書も多数あります。



 著者が考えるイエス像とは?



 今回はこの本を次のような視点で読んでみました。
──────────────────────────────
 ■この本のどこを読むか
──────────────────────────────
 1)何を説いた人なのか?



 忙しい方のために、結論を先に紹介します。
──────────────────────────────
 ■この本をどう読んだか
──────────────────────────────
 1)何を説いた人なのか?

 「愛の神、神の愛?それを語るのはやさしい。しかしそれを現実に
 証することは最も困難なことである。なぜなら『愛』は多くの場合、
 現実には無力だからだ。現実には直接に役にたたぬからだ。現実は
 神の不在か、神の沈黙か、神の怒りを暗示するだけで、そのどこに
 『愛』が隠れているのか、我々を途方に暮れさせるだけだからだ」

 「棄てられた彼らの住む山かげや谷をイエスは歩かれた。彼は
 癩者をもとの体にしてやりたかった。盲人の眼も見えるように
 してやりたかった。びっこも歩かせてやりたかった。子を失った
 母親に、子を戻してやりたかった」
 
 「しかし、それが出来なかった時、彼の目には悲しみの色が浮
 かんだ。彼は癩者や不具者の手を握り、彼らの苦痛やみじめさを
 引き受けたいとひたすら願った。彼らの苦しみを分かち合うこと。
 彼らの連帯者になることはイエスの願いであった。だが癩者も
 不具者もただ治ることだけを望む。治してくれとイエスに訴えて
 くる」

 「永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために
 自分がもっとも惨めな形で死なねばならない」

 「だが我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力
 であるという点に本当のキリスト教の秘儀が隠されていることを」
 
 「そしてやがて触れねばならぬ『復活』の意味もこの『何もできぬ
 こと』『無力であること』をぬきにしては考えられぬことを。
 そしてキリスト者になるということはこの地上で『無力であること』
 に自分を賭けることから始まるのであるということを」

 「彼らがこの時、一番、怖れたのは十字架での怒りである呪詛
 だった。自分を見棄て、裏切った弟子達にたいして師が神の罰を
 求めることだった」

 「イエスは弟子たちに、怒りの言葉をひとつさえ口に出さなかった。
 彼等の上に神の怒りのおりることを求めもしなかった。罰を求める
 どころか、弟子たちの救いを神に願った」
 
 「そういうことがありえるとは、弟子達は考えられなかった。
 だが考えられぬことをイエスはたしかに言ったのである。十字架上
 での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄て裏
 切った者たちを愛そうと必死の努力を続けたイエス。そういう
 イエスを弟子たちは始めて知ったのである」
 
 「こんな人を弟子たちはかつて知らなかった。同時代の預言者は
 多かったが、こんな呟きを残しつつ、息絶えた者はなかった。
 過去の預言者たちにもこれほどの愛とこれほどの神への信頼を
 持った人はなかった」



──────────────────────────────
 ★今日から実行すること
──────────────────────────────
 【 特にありません 】



──────────────────────────────
 ●もっと知りたい方のために
──────────────────────────────
●何を説いた人なのか?

▽イエスが人々に説こうとしていた「神の愛、愛の神」は、現実
 世界の貧しさや病に苦しむ者達には、なかなか理解してもらえま
 せん。
 
 「愛の神、神の愛?それを語るのはやさしい。しかしそれを現実に
 証することは最も困難なことである。なぜなら『愛』は多くの場合、
 現実には無力だからだ。現実には直接に役にたたぬからだ。現実は
 神の不在か、神の沈黙か、神の怒りを暗示するだけで、そのどこに
 『愛』が隠れているのか、我々を途方に暮れさせるだけだからだ」
 
 多くの人に「神の愛」を説いても、現世利益を求めるほとんどの
 人には理解してもらえず、イエスの近くにいた多くの弟子達にも
 その真意は伝わりません。
 
 イエスが伝えたかったのは、人生を苦しむ者にも見守ってくれる
 同伴者が必ずいるということ。
 
 不幸な人々の最大の不幸は、彼らを愛する者がいないということ
 でした。
 
 「棄てられた彼らの住む山かげや谷をイエスは歩かれた。彼は
 癩者をもとの体にしてやりたかった。盲人の眼も見えるように
 してやりたかった。びっこも歩かせてやりたかった。子を失った
 母親に、子を戻してやりたかった」
 
 「しかし、それが出来なかった時、彼の目には悲しみの色が浮
 かんだ。彼は癩者や不具者の手を握り、彼らの苦痛やみじめさを
 引き受けたいとひたすら願った。彼らの苦しみを分かち合うこと。
 彼らの連帯者になることはイエスの願いであった。だが癩者も
 不具者もただ治ることだけを望む。治してくれとイエスに訴えて
 くる」
 
 自分が苦しむ者の同伴者となることによって「神の愛」を伝え
 ようとしたイエスですが、ほとんどの者にはその真意は伝わらな
 かったようです。
 
▽自分の周りを取り囲む状況を考え、イエスは自分の死が近づいて
 いることを知ります。
 
 弟子達を伝導の訓練に旅立たせ、自分の死後も「神の愛」を説く
 ために必要な知識を身につけさせようとしていました。
 
 ユダヤ教には年に一度、「過越祭(すぎこしさい)」という巡礼際が
 盛大に行われるそうです。
 
 当時のユダヤ人達は、ローマ帝国によって迫害されていて、民族
 運動の機運が一番高まるのもこの時期でした。
 
 ユダヤ教ではメシア(救世主)は過越祭に出現し、イスラエル
 王国を再建するということになっていました。
 
 その指導者として祭り上げられようとしていたのがイエスでした。
 
 この動きが支配者達の眼に止まらないはずはありません。
 
 イエスに従うおびただしい人々の中には、支配者の監視者も
 混じっていて、イエスがユダヤ教の立法に違反していないか、
 その言動をチェックしていたのです。
 
 そのような状況の中、多くの巡礼者を従えてイエス一行はエル
 サレムの町に入ります。
 
▽現在の3月半ばから4月半ばにあたる月のある日、ダ・ヴィンチ
 の絵で有名な「最後の晩餐」が行われました。
 
 「最後の晩餐」は静かな雰囲気の中で厳かに行われたわけでは
 なく、イエスをメシアとあがめているおびただしい群衆が取り
 囲む家の中で行われたようです。
 
 何かが起きることを期待をする群衆や弟子の期待に反して、何も
 しない「無力な男」「役に立たぬ者」「役に立たぬ人」である
 ことを示し、ただただ「神の愛」を説くイエス。
 
 何も起きないと知った群衆は、その期待が大きかっただけに、
 失望感は彼に対する憎悪に変わります。
 
 そのことを指摘したであろう人が弟子の一人イスカリオテのユダ
 という人で、イエスはユダに向かって「行くがいい。そしてお前の
 したいことをするがいい」と言います。
 
 ユダはイエスのもとを去り、その足で大祭司カヤパの元へ出頭し、
 銀30枚というわずかな金でイエスを売ってしまいます。
 
▽最後の食事を終えた一行は、町を出てオリーブ山の麓にある搾油所
 (ゲッセマネ)に到着し、そこを一夜の宿とします。
 
 イエスはそこで、これから自分が体験する「受難」を想像し、
 神に祈ります。
 
 寝てしまった弟子達のいるそばで、イエスは死の不安と闘って
 いました。
 
 イエスが考えていたのは、
 
 「永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために
 自分がもっとも惨めな形で死なねばならない」
 
 ということでした。
 
 イエスが死の不安と闘っているところへ、神殿警備員を引き連れた
 ユダがやってきて、イエスはとうとう捕まってしまいます。
 
▽イエスはすでに結果の決まっている裁判を受け、十字架刑が決定
 します。
 
 つい前日まで、彼を「メシア」と付き従っていた民衆は、何も
 なさないイエスに幻滅し、民衆が十字架刑を要求したのです。
 
 イエスに最後まで従っていた12人の弟子達は、一人は裏切った
 ユダ、残りの11名は恐ろしくなって隠れていました。
 
 聖書には、ユダ以外の11名の中の一人、ペトロが大祭司カヤパの
 追求に対して「イエスという男は知らない」と主張し、助かった
 ことになっています。
 
 著者は、11名の弟子の代表がペトロで、ペトロがイエスを
 「知らない」と見捨てることによって、弟子達の安全と取り引きを
 したのではないか、と予想しています。
 
 民衆に裏切られ、ユダに裏切られ、そして残りの弟子達にも裏切ら
 れたイエス。
 
 そのイエスは、自分が磔にされる十字架を自らが背負い、ローマ兵
 に鞭打たれながらゴルタゴの丘を登っていきます。
 
 兵士に罵倒され、鞭打たれ、群衆の嘲笑や唾を受けるその姿は、
 何もしない、何もできない無抵抗の惨めな姿でした。
 
 「だが我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力
 であるという点に本当のキリスト教の秘儀が隠されていることを」
 
 「そしてやがて触れねばならぬ『復活』の意味もこの『何もできぬ
 こと』『無力であること』をぬきにしては考えられぬことを。
 そしてキリスト者になるということはこの地上で『無力であること』
 に自分を賭けることから始まるのであるということを」
 
 「イエスの惨めな死」は、イエスの本当の教えを伝えるために
 どうしても必要なことだったのです。
 
▽弟子達は、イエスが裏切った自分たちを恨んでいると思っていま
 した。
 
 そして、民衆も。
 
 弟子達が一番恐れたのは、十字架に架けられるイエスの怒りの
 言葉でした。
 
 「彼らがこの時、一番、怖れたのは十字架での怒りである呪詛
 だった。自分を見棄て、裏切った弟子達にたいして師が神の罰を
 求めることだった」
 
 確かに、死刑になる人間の恨みの言葉を聞かされるのは気分の
 いいものではありません。
 
 まして、昨日まで自分が「師」と仰いでいた人から恨みの言葉を
 言われるのは辛いものがあります。
 
 しかし、イエスが十字架に架けられて発した言葉は、恨みの言葉
 ではありませんでした。
 
 「主よ、彼等を許したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり」
 
 「主よ、主よ。なんぞ我を見棄てたまうや」
 
 「主よ、全てを御手に委ねたてまつる」
 
 イエスが死の直前に発した言葉は上の三つです。
 
 後の二つは、旧約聖書の詩篇の一部で、神を称える内容なのだ
 そうです。
 
 つまり、イエスは死の直前にあっても、恨み言葉も呪いの言葉も
 吐くことはなく、自分を見棄てた者達に神の救いを願ったのです。
 
 「イエスは弟子たちに、怒りの言葉をひとつさえ口に出さなかった。
 彼等の上に神の怒りのおりることを求めもしなかった。罰を求める
 どころか、弟子たちの救いを神に願った」
 
 「そういうことがありえるとは、弟子達は考えられなかった。
 だが考えられぬことをイエスはたしかに言ったのである。十字架上
 での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄て裏
 切った者たちを愛そうと必死の努力を続けたイエス。そういう
 イエスを弟子たちは始めて知ったのである」
 
 「こんな人を弟子たちはかつて知らなかった。同時代の預言者は
 多かったが、こんな呟きを残しつつ、息絶えた者はなかった。
 過去の預言者たちにもこれほどの愛とこれほどの神への信頼を
 持った人はなかった」
 
 無力なイエスの、死ぬ間際の愛の叫びは、弟子達に根本的な価値
 転換を起こさせたのです。
 
▽イエスの死後、弟子たちはイエスの教えの伝道に奔走します。

 それまでの言動が嘘のように宣教に勤め、迫害を受け殉教した者
 も少なくありません。
 
 その弟子たちの宣教によって、現在のキリスト教があります。
 
 こういった背景を知りつつ、過去のキリスト教から、現在のキリ
 スト教を眺めてみると、単にイエスの名を利用しているだけなの
 ではないかと思います。
 
 私が知っている限りで言うと、イエスが説く神の愛を実践して
 いたのは「マザー・テレサ」とそれに続く者だけです。





 この作品は、著者が持っているイエス像と、キリスト教の本質を
 解説したものです。
 
 人によって解釈の仕方は違うと思います。
 
 しかし、この本を読む限り、イエスは実践者であり続けた人です。
 
 言葉だけではなく、実践することが大切です。



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 人生を成功に導く読書術! ?おやじむしの3分書評? より抜粋

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